2017年3月12日日曜日

ヤッシャ・ホーレンシュタイン賛

最も過小評価されてきた巨匠、ヤッシャ・ホーレンシュタインについて
先日久しぶりに、Mahlerの交響曲第1番を聴きたくて、ホーレンシュタインのマーラー交響曲第1番L.S.Oをかけました。



初めてマーラーの交響曲第1番を買ったのは、エンジェル盤でパウル・クレツキー指揮のものだったような気がします。
そのジャケットのライナーノーツには、マーラーは日曜作曲家で指揮者の余技のとあり、明らかに、モーツァルトやベートーベンなどと同等の大作曲家とは見なされていませんでした。
それから40年以上時間が経ち、ブルックナーとマーラーはひょっとしたら、モーツァルトやベートーベンよりもしばしば演奏され、録音される時代となったようです。
これまで、クレツキー、ワルター、クレンペラー、バーンスタイン、クーべリック、ショルティ、ハイティンク、アッバード、マゼール、テンシュタット、ドホナーニ、etcを聴き続けて、何と無くマーラーがわかったような気になっていました。
しかし、ヤッシャ・ホーレンシュタインの演奏は、そんな思いを吹き飛ばしてくれます。
じっくりとしながら生き生きしたテンポ。
これまで聴き飛ばしていた各楽器の音達の全てに深い意味づけがなされて、
各モチーフやリズムが、かつて聴いたことがない響きを持ちます。
そして、激しいダイナミックスと鮮烈なカタスタロフィー。
何度聴いても、マーラーの交響曲第1番でこれ程感動することはありません。
マーラーは交響曲第1番に全てを持ち込み、ここから空前の交響曲作家となりました。
第1番は単なる出発点ではなく、マーラーの彼岸の先まで見通せるような作品だとホーレンシュタインに教えられます。
ホーレンシュタインのマーラーは、モノラルLP時代から既に欧州ではスペシャリストとして認知されていたようで、VOXで録音活動も行っています。
しかし、若かった私には、モノラル時代のホーレンシュタインの真価を全く理解できませんでした。



現在は、スタジオセッションの交響曲第3番と第4番があり、いづれもマーラーファンの間では極めて高い評価を受けています。



さらに、BBCのライブ録音シリーズでは、第6番、





第7番、




第8番、





第9番、




大地の歌が登場し、この巨匠のマーラー演奏の真価が広く知れ渡ることとなりました。




これらの放送録音におけるマーラー作品の演奏は、いずれもかつて他で聴いたことがない深い意味づけの解釈と巨大なダイナミックスに圧倒されます。
ヤッシャ・ホーレンシュタインは、私にとっては最高のマーラー指揮者の一人となりました。





さらに、BBCライブ録音では、ブルックナーの交響曲第5番、8番、9番も至高の演奏が発売されました。



このブルックナーもかつて聴いたことがない巨大な音楽で圧倒されます。
戦前の ベルリンフィルでフルトヴェングラーの助手を務め、ベルリンフィルにマーラーを指導した経歴を持つこんな巨人が何故、戦後、メジャーオーケストラの常任をつとめず、客演指揮者として生涯を終えたのでしょうか。
ユダヤ人としてナチスの迫害を逃れてアメリカへの亡命、戦後の苦難時代がそうさせてきたのでしょうか。
まだまだ、ホーレンシュタインの他の作曲家の演奏について語りたいのですが、この辺で。
とにかく、ホーレンシュタインの音楽を聴くためには、できる限りの大音量で聴くことをお勧めします。





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