2010年4月12日月曜日

ABBADO CONDUCTS MAHLER NO.7

CLAUDIO ABBADOがルツェルン音楽祭管弦楽団と演奏したMAHLERの交響曲7番を録画してから、ずっと見ていなかった。
ようやく、見てみると予想通り素晴らしい演奏。
ABBADOがB.P.O.音楽監督の時代は、私もご多分に漏れず何だかなあと思い続けていた。
それが、彼が大病して静養し、楽界に復帰してから払拭されました。
なんだか、ABBADOが俗界の成功や名声などから超越してしまったような印象で、バッハやマーラーの演奏をするときでも、音楽が動きたいことに耳を傾けて自在に動いてもらう、音楽に身を任せているような指揮に感じられます。
私にとって、MAHLERの交響曲でも第7番は、もっとも取っつきにくい曲でした。ライブでは、多分5回ぐらいしか聴けていない。
その中では、ベルティーニが最も印象的な演奏でしたが。それでも、7番はどんな曲かよくわからない状態のままでした。
第6番で悲劇の真髄を描いてしまったMAHLERは、7番、8番では理念の抽象化、超越論的対象化に向かったのか、と思っています。
ABBADOの指揮では、死に直面した人間の走馬燈のように人生を振り返るフラッシュバックのようなメタファーというMAHLERの表面的な理解から大きく離れた、躍動する世界観、悲劇も人生の幸福も描いた世界が7番だと思えました。ベルリンフィルのメンバーを初めとした名人揃いの豪華オケが演奏の喜びを讃えているのがはっきりと見て取れます。名人達の音が躍動して録音されていて一層はっきりします。
ここまで、形而上学的な音楽だと、次には第8番の宇宙を鳴らしてしまうような巨大な音楽を構築するしかないなと思わせるモノでした。

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