1月29日室生寺を訪ねました。
その朝宿泊していた京都の宿を出るときは、かすかに雪が舞っていましたが積もるほどではありません。
大阪経由で奈良に着くと、青空がひろがっていました。
駐車場に車を停め、なじみとなった赤い橋を渡ると、女人高野「室生寺」境内に。
過日の雪か、伽藍の屋根は白く染まっていました。
土門拳先生の愛した室生寺。彼が生涯最後の時にようやくめぐり会えた室生寺の雪。
そんなことを思いながら、雪に彩られた金堂、弥勒堂、灌頂堂をお参りし、
可憐な五重塔を眺めながら、奥の院に向かいました。
杉の巨木に囲まれた急坂を登り切り奥の院へ。
弘法大師を祀る御影堂をお参りし、御朱印を拝領しました。
そこにいらしたのが室生寺の中村さん。
中村さんの筆さばきを眺めながら、土門拳先生が雪の室生寺を待ちわびた話をすると、なんと中村さんは、その時ご案内をされた方でした。ちょうど、土門先生のことをまとめていたとのこと。天のご加護か、中村さんに土門先生の思い出話を聞かせていただくという願ってもないことになりました。
名著・名写真集「古寺巡礼」で土門拳先生は、こんなふうに室生寺を語っています。
「室生寺はいつ行ってもいい。」
「なぜ室生寺はいつ行ってもいいのか。杉のそびえる様子は
前と変わらずそびえている。お堂も同じようにそびえている。その変わらない様子がよい。」
「千年前、弘仁の昔から、お堂も、中の仏像も、それに壁面までも
そのままのこっている金堂は、平泉中尊寺金色堂とともに、美術史上、そして、宗教史上稀な文化遺産である。」
さらに土門先生は、
「ぼくは、何十編、室生を訪ねたことであろう。しかし、どういうものか、雪の室生には一度もあうことはなかった。」
どの室生がよいかというという問に、当時の荒木良仙師が言った言葉に
「全山白皚皚たる雪の室生が第一等であると思う。」
これを聞いて土門先生は、
「ぼくはどうしても、全山白皚皚たる雪の室生を撮らなければ気がすまなくなった。」
病のなか室尾滞在の最終日に、雪は降った。
「ぼくは、荒木良仙老師の四十年前に言った雪の全山白皚皚たる雪の室生寺をついに見た。そして撮った。」
その案内をされた、室生寺職員の中村さんである。76歳とのことだが矍鑠として毎朝、室生寺の奥の院まで、急坂道を清めながら登り、参拝者に御朱印や案内をされている。
私は、三度目の室生寺お参りで、そんな、雪の室生を拝見した。そして、中村さんに土門拳先生の思い出を聞かせていただいたのである。
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