2012年11月3日土曜日

アーネスト・フェノロサ

アーネスト・フェノロサをご存知だろうか。 明治時代に日本文化を守った大恩人です。空前絶後の日本美術研究家であり、愛好家。 若くして日本美術に関心を抱き、帝大の講師として招聘され、政治学や経済学の教鞭を執りながら、 日本の美術・工芸、仏教美術にのめり込み、収集を重ねていく。 その弟子には岡倉天心がいる。 フェノロサはその後、帰国し、ボストン美術館の東洋美術部長に就任するが、数年で失脚。 日本に戻り、能の研究に打ち込む。フェノロサの墓所は、三井寺にある。  
法隆寺夢殿
廃仏毀釈の明治初期にあって、フェノロサは鋭い鑑識眼と愛を込めて仏教美術の重要性を力説。 ついには、日本政府の文部省図画調査会委員に就任し、岡倉天心と奈良の古寺の研究を行う。 このとき、法隆寺の夢殿の秘仏を見ることを望み、秘仏を開くことを拒む僧侶を説得。 布に包まれて長い眠りにあった救世観音像を再発見したのでした。 その後も、徹底した日本美術愛好家として生涯を全うした。 フェノロサの影響下には、岡倉天心がいるのは有名です。
唐招提寺金堂

鑑真和上の御廟
フェノロサたちの運動のおかげで、明治政府は廃仏毀釈から脱却し、古寺の保存を始めたのです。 その第1点が唐招提寺金堂の修復。 その修復にあたったのが、建築家で法隆寺等の研究で知られた関野貞。 同時期には日本美術とシルクロードをこよなく愛した建築の巨人・伊藤忠太がいます。 おそらく、アーネスト・フェノロサ無かりせば、廃仏毀釈という狂気の運動で日本の寺院や仏教美術は壊滅的な打撃を受けていたでしょう。興福寺の五重塔でさえ、投げ売りされそうになったのですから。 日本美術に生涯をかけて愛好したアーネスト・フェノロサ。 芸術を理解し愛好することは破滅なのかとさえ思ってしまう。しかし、そのフェノロサのおかげで、法隆寺や唐招提寺や多くの仏像・日本画などが救われた。 破滅的なほどの愛情と言えば、チャーリー・パーカーの音楽を愛するあまり、自らサックスを演奏することを諦め、生涯、パーカーのソロだけを録音し続けたディーン・ベネデッテイ。 その伝説の録音がモザイクで発掘・発売されたときは狂喜乱舞したものでした。 私にとっては、何かを愛好するということは、フェノロサやベネデッテイのように全てを投げ打ってのめり込むことであり、批評家や研究家と名乗れるのはこういう生き方をしている人だけだと思うのです。

2012年1月30日月曜日

雪の室生寺

1月29日室生寺を訪ねました。
その朝宿泊していた京都の宿を出るときは、かすかに雪が舞っていましたが積もるほどではありません。
大阪経由で奈良に着くと、青空がひろがっていました。
駐車場に車を停め、なじみとなった赤い橋を渡ると、女人高野「室生寺」境内に。









過日の雪か、伽藍の屋根は白く染まっていました。





土門拳先生の愛した室生寺。彼が生涯最後の時にようやくめぐり会えた室生寺の雪。







そんなことを思いながら、雪に彩られた金堂、弥勒堂、灌頂堂をお参りし、
可憐な五重塔を眺めながら、奥の院に向かいました。




杉の巨木に囲まれた急坂を登り切り奥の院へ。














弘法大師を祀る御影堂をお参りし、御朱印を拝領しました。




そこにいらしたのが室生寺の中村さん。





中村さんの筆さばきを眺めながら、土門拳先生が雪の室生寺を待ちわびた話をすると、なんと中村さんは、その時ご案内をされた方でした。ちょうど、土門先生のことをまとめていたとのこと。天のご加護か、中村さんに土門先生の思い出話を聞かせていただくという願ってもないことになりました。




名著・名写真集「古寺巡礼」で土門拳先生は、こんなふうに室生寺を語っています。

「室生寺はいつ行ってもいい。」
「なぜ室生寺はいつ行ってもいいのか。杉のそびえる様子は
前と変わらずそびえている。お堂も同じようにそびえている。その変わらない様子がよい。」
「千年前、弘仁の昔から、お堂も、中の仏像も、それに壁面までも
そのままのこっている金堂は、平泉中尊寺金色堂とともに、美術史上、そして、宗教史上稀な文化遺産である。」



さらに土門先生は、
「ぼくは、何十編、室生を訪ねたことであろう。しかし、どういうものか、雪の室生には一度もあうことはなかった。」

どの室生がよいかというという問に、当時の荒木良仙師が言った言葉に
「全山白皚皚たる雪の室生が第一等であると思う。」
これを聞いて土門先生は、
「ぼくはどうしても、全山白皚皚たる雪の室生を撮らなければ気がすまなくなった。」
病のなか室尾滞在の最終日に、雪は降った。
「ぼくは、荒木良仙老師の四十年前に言った雪の全山白皚皚たる雪の室生寺をついに見た。そして撮った。」

その案内をされた、室生寺職員の中村さんである。76歳とのことだが矍鑠として毎朝、室生寺の奥の院まで、急坂道を清めながら登り、参拝者に御朱印や案内をされている。
私は、三度目の室生寺お参りで、そんな、雪の室生を拝見した。そして、中村さんに土門拳先生の思い出を聞かせていただいたのである。